財団法人の概要  おもな業績  受託事業のご案内  経営史料センター  優秀会社史賞
会社史への提言
  統計データ  リンク          トップページ

会社史への提言


経済史・経営史の専門家が会社史(社史)への期待や意見を率直に述べています。

  1. 「社史」再々論 中川敬一郎(日本経営史研究所顧問,東京大学名誉教授,故人)
  2. 「社史」の可能性 三和良一(青山学院大学名誉教授)

「社史」再々論

中川敬一郎(日本経営史研究所顧問,東京大学名誉教授)

 正直いってこの原稿はきわめて書きづらい。私は過去20年,およそ「社史」というものがどうあるべきかにつき,その内容,編集,執筆,刊行の姿勢・体制に言及しつつ,再三拙文をものして世に訴えてきた。しかし,そうした私の訴えがどれだけ現実の「社史」編集・執筆・刊行に受け入れられたかを考えるとき,一介の学徒の提言などいかに無力で空しいものか思い知らされざるを得ないのである。また,それにもこりず,いま一度「社史」についての愚言を綴ろうとしても,言いたいことはすべて従来の拙文で言及しており,なにを書いてもその繰返しにならざるを得ない。にもかかわらず,いまあえて筆を進めようとするのは,同じことを繰返し訴えるのも私のつとめかと考えてのことであるが,そうした状況のもとで本稿の言葉が従来に比して粗暴になっても,どうか読者の御寛恕を頂きたい。

 そのうえで重ねて訴えたい最大の問題は,日本の「社史」も,もうそろそろ「出版界の私生子」の状態を脱却して,公的な出版物の仲間入りをしなくてはならないのではないかということである。これは主として「社史」の編集・刊行の体制に関する問題であり,端的に言えば,わが国においても「社史」を現在のような執筆責任の不明確な会社の私的出版物に留めておかないで,欧米の社史のように著者の名において堂々と一般出版社から公刊され,市中の書店で誰でも購入しうるような公的な出版物にしなければならないということである。そうした欧米的な社史の体制は日本的な企業経営の体制にふさわしくないという反論もありうるであろう。それを承知であえて上のようなことを主張するのは,現在のような「私的出版物」の状態に留めておくことは,「社史」の読者・執筆者のいずれにとっても不幸なことであり,企業にとっても決して望ましいことではないと考えるからである。

 「社史」が企業の私的出版物である限り,「社史」は会社の宣伝用文書であり,会社に都合のよいことしか書いていないのではないかと最初から疑いの眼で見られるのは当然であり,読者としてもおよそ書物というもをそうした姿勢で読むというのは大変不幸なことに間違いない。また「社史」の執筆者としても,会社の私的出版物である「社史」に会社にとって都合の悪いことは書けないはずであり,執筆者はそうした会社の枠内でしか会社の歴史の真実を追究することが許されていない。飽くことなき忠実の追求と自由な史的思考の高揚によってのみ歴史の真実に到達しうるものであるが,現在の日本におけるような「社史」の体制のもとでは,それは実現不可能なことに思われる。さらに企業の立場からみても,「社史」が会社の私的な出版物として会社の従来からの関係先にのみ配布されるというのでは,「不特定多数の公衆の働きかけ」というPRの第一原則を踏みはずしているわけで,宣伝書しての効果も最初から大きく減殺されている。

 言うまでもなく,「社史」には,会社の過去における多くの失敗を含めて企業の血みどろの苦闘の歴史が赤裸々に綴られていなければならない。そうした「社史」でこそはじめて,経営首脳にとって意思決定上の重要な指針となり,会社の従業員の志気を高める契機ともなり,幹部教育の好適な材料ともなりうる。また会社の苦闘の歴史を率直に社会に訴えてこそ企業経営というものについての国民的信頼をうることもできるのである。要は「社史」のもつそうした「企業戦力」としての意味を真剣に検討すべきであって、集団的頌徳碑のような綺麗ごとの社史に安んじておられるほど今日の企業環境は甘くはないであろう。

 最後に,会社の歴史の真実を世に訴えるためには,平素から基本的な営業文書,経営資料を丹念に整理・保存しておく必要があり,そのための急務は,企業が有能なアーキビストないしライブラリアンを獲得し,それに高い地位と大きな権限とを与えることである。

・参照文献
中川敬一郎「企業戦力としての社史 「社史」再論」(『中央公論経営問題秋季号』1978年)

Copyright©2011 Japan Business History Institute. All Rights Reserved.